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主な資料の紹介MATERIAL

ここでの紹介資料は、すべて国友一貫斎家資料です。

1. 夢鷹図(ゆめたかず)山縣岐鳳(やまがたぎほう)画(1幅)

  • 夢鷹図(ゆめたかず)山縣岐鳳(やまがたぎほう)画
  • 国友一貫斎を描いた唯一の肖像画である。一貫斎が夢に見た風景(自作の絵から鷹が飛び立つ状況)を、長浜の町絵師・山縣(大塚)岐鳳に描かせた作品。

    一貫斎と鷹のみ浮き立たせる技法は巧みである。紙本著色で、岐鳳の代表作と言える。

資料番号 5

2. 大小御鉄砲張立製作(1冊)

  • 大小御鉄砲張立製作
  • 一貫斎が前老中の松平定信の依頼に従って、文政元年(1818)に著したもの。本書によって、鍛冶の心得さえあれば、如何なる大筒でも製作することが出来た。もともと、鉄砲製作方法は古来より伝わっていたが、鍛冶によって様々であり一定しなかった。

    ここでは、火縄銃製作方法の統一を図り、火縄銃製作のマニュアルづくりを行なったものと言えよう。

資料番号 278

3. 気砲記(1冊)

  • 気砲記
  • 一貫斎が文政2年(1819)春に発刊した気砲の操作説明図。

    胴金(どうがね)金具(機関部)、畜気筒(タンク)の説明、生気筒・生気棍(ポンプ)の解説の後、「生気の法」や発射方法について述べている。気砲本体に附属させ、その取扱い説明書として利用された。

資料番号 303

4. 気砲試射図(1枚)

  • 気砲試射図
  • 文政2年(1819)5月24日に、老中酒井忠進(ただゆき)の前で御前射撃を行なった際の絵入りの射撃記録である。

    気砲から放たれた弾が標的に当たったのを目の当たりした忠進が、「是は感心だ、誠ニ同穴だ、国友鉄砲は名人だ、国友に見せ」と感嘆したのに対し、標的を見せられた一貫斎は「是はまぐれ当りデゴザリマス」と返答している。

    大名たちの驚きと、一貫斎の控えめな自負を生々しく伝える。

資料番号 370

5. 鋼製弩弓(こうせいどきゅう)図(1枚)

  • 鋼製弩弓(こうせいどきゅう)図
  • 同じく松平定信から製作を命じられた諸葛弩(しょかつど)の改良弓で、現在のアーチェリーに類するものだが、図面のみが残存する。

    諸葛弩を改良し、弓を中央二つに分け矢の命中性を高め、通常の弓の「押し」をバネで再現、弓を木製から鋼製に変えている。一貫斎の「ものづくり」への探求心が見て取れる。

6. 反射望遠鏡(1基)

  • 反射望遠鏡(国友一貫斎家蔵)
    反射望遠鏡
    (国友一貫斎家蔵)
  • 日本に4基残る一貫斎製作望遠鏡の一つ。国友一貫斎が天保7年(1836)頃に製作したと考えられるが、銘は一切刻まれていない。

    彦根城博物館に残る一貫斎製作反射望遠鏡と同じく、雲台・支柱の改良がほどこされていること。さらに、一貫斎家に残された反射望遠鏡であることから見て、現存4基の中でも最後に一貫斎が製作に取り組んだものと考えられている。

資料番号 327

7. 太陽黒点観測図(1枚)

  • 太陽黒点観測図
  • 一貫斎が天保7年(1836)8月15日の五つ(午前8時)過ぎの太陽黒点を記したもの。

    この図面では、太陽黒点の縁に薄くにじんだ所(半暗部)があるなど、詳細な観察記録が画面左に記されている。一貫斎は、日本で初めて太陽黒点の連続観測を行なった。

資料番号 326

8. 月面観測図(1枚)

  • 月面観測図
  • 一貫斎の月面観測図で、天保7年(1836)8月9日の月を描いたもの。

    天保4年(1833)の観測図では、点在するクレーターをポイントするのみであったが、ここでは格段その精度が高まっており、海の形はもちろん、クレーターの大小も見事に書き分けられている。

資料番号 325

9. 星之図(1枚)

  • 星之図
  • 一貫斎が天保7年(1836)4月26日に描いた大白星(金星)・木星・土星の図。木星の縞(しま)模様や4つの衛星(ガリレオ衛星)、それに土星の環と1つの衛星(タイタン)など、的確に惑星の様子を捉えている。

    「大キサ図の如し」とあり、実際に観測して見える星の比率と、図面上の星の比率を合致させる努力もなされている。

10. 阿鼻機流(あびきりゅう)大鳥秘術(1枚)

  • 阿鼻機流(あびきりゅう)大鳥秘術
  • 国友一貫斎が考案した飛行機の図面で、「阿鼻機流」は松田清氏によればラテン語で小鳥を意味する「AVICULA」が語源と推定される。図面に従えば、横幅7間4尺(約13.3メートル)ほどになり、中央に木馬状の機械をおき、そこに人が乗ってペダルを踏み、羽根をばたつかせ飛行する形である。

    実際に製作したかは不明だが、残念ながら航空力学上は飛行できる構造ではない。ただ、一貫斎以外に江戸時代、飛行機の図面を作成した日本人は知られず、その知識欲と探究心を示してあまりある。

写真資料の申請について

本WEBサイト内の「国友藤兵衛(一貫斎)家資料目録」に掲載された資料について、研究目的に限り写真資料のご使用が可能です。